T O P L I N KB L O G
N o v e l
 Stage1
~ VSアズサ編 ~
 
 To D.C.2019 YUMENO_HATE..

 人により生み出されし、あらゆる『欲望』の行き着く先には何があるのか。
 『輝かしい未来』だとある者は言う。また、ある者は『破滅的な現実』だと言う。
 相反する論者の共通認識は、それが輝かしかろうと破滅的だろうと、そこには必ず残滓がある事だけだった。それは夢の残骸となり、捨てられた過去の塵屑。 人の欲を燃やして出来上がったカスだ。
 生み出された物は、課せられた役目を終え、最後に流れ着くの場所がある。この『夢の果て』は、生み出され、そして捨てられたモノ達が星の数程眠る廃棄場 だった。
 辺りには、小さな樹脂加工品、色鮮やかな化学合成物に、瓦礫、建材、家庭用電化製品、他にも元が何だったのか想像も付かないような大型の金属柱と、『無 機質のジャングル』と呼んで差し支えない、多様な系を成した空間が広がっていた。
 『夢の果て』は、一般に見られる廃棄場と違い、不思議と生き物が寄り付かない場所だった。生も死も無い、モノの墓場だ。
 この一台のノートPCも、多聞に漏れず、打ち捨てられ土に還る日を待つだけの運命にあった。  長い間、野ざらしにされた筐体には砂埃が付着して層を成し、潮風の影響で至る所に錆が浮き出ていた。
 外見は修理のしようも無い位廃れ、誰がどう見ても動く事の無いマシン。そのボロボロとなった体の電源ランプが、突然、点灯を始めた。
 それは何の奇跡か。か細く、ひっそりと息をするように、データを読み出すサインを示していた。
 点滅を繰り返すライムグリーンのマークは、確かに保存された情報を読み込んでいるように見える。そして、ひびの入ったディスプレイが発光すると、黒色を 画面に映し出していた。
 画面に表示される、たった一行の文字。
 ―― START> DOORS.LOADER ..
 ディスプレイが破損しているのか、所々に文字は欠けていたが、そのメッセージは、眠ったOSを立ち上げようとしているマシンの意思のようだった。
 そして、画面に変化が現れないまま、ハードディスクはガリガリと不吉な音を奏でる。
 この『夢の果て』の物音といえば、しばしば吹き付ける突風の風鳴りか、積み上げられた屑が浸食により支えを失って崩壊する音しかなかった。
 本来は無音に近いはずのシークエンス音が、静寂に包まれた空間に響いていた。
 どれ程時間が経っただろうか、やがて画面に映し出された文字が崩れ落ちたかと思えば、今度は機械言語によって画面が埋め尽くされた。
 0と1で構成されたモノクロの画面。本来なら、文字が映し出されているだけで奇跡と呼んで差支えない状態だが、本当の奇跡は次の瞬間に訪れるのだった。
 人には意味を成さない文字列に、変化が現れようとしていた。フォントサイズが小さくなり、文字を表示させている領域に、密度の差異が生じていた。
 密度の違いは線を表現し、不定形な図形を描き出した。それは時に、単細胞生物のように蠢き、時に分裂を起こしてランダムな動作を繰り返した。やがて、動 物に似せた姿になると、変形を繰り返してヒトの形に進化していく。
 骨格と関節を形成したかと思えば、筋肉、肌、そして髪が表現され、瞬く間に人間を形作っていく。0と1のモノクロで描かれたその輪郭は、驚くほど滑らか で、柔らかささえ感じさせた。
 描かれた像の動きが少なくなると、そこには一人の眠れる少女がいた――
 体を丸めて身動きしない少女の像は、眠っているようにも死んでいるようにも見えた。それは、あたかも一枚絵のように、永遠の時を刻もうとしていたのかも 知れない。だが、深淵に隠された意思が抵抗したのか、瞬間的に画像がぶれる。
 瞬時に画面がリフレッシュされると、解像度の限界に挑戦するかの如く精密に描かれたまつ毛が、僅かに動いた。
 長いまつ毛を跳ね上げ、大きな灰色の瞳が徐々に見開かれようとしていたが、そこに人の持つ光はない。ただ、暗闇の中で開かれた瞳孔が、宙を彷徨うばかり だった。
 ともすれば、ひとりでに動きそうな気配だったが、その覚醒を待たず変化は別の場所から訪れる。静かに発光していたディスプレイが、一際強い光を放ち出し たのだ。
 本来そのマシンが持つ輝度を超えて、青白い光が暴れ出す。
 やがてディスプレイだけでなく、筺体そのものからも電子の奔流が走ると、その強烈なエネルギーに導かれるかのように、常闇の中で横たわる少女の手が伸び ていた。
 光の渦に包まれたノートPCは、明らかに電化製品の域を超えた放電現象を発生させていた。外の世界は電子の地獄だったが、反してディスプレイの中は、変 わらず深淵と静寂が支配していた。
 一瞬にしてマシン全体がショートしても何の不思議もない状況だった。しかし、現実世界を知ってか知らずか、細い腕は2次元の限界に向けて、更に伸ばされ た。
 その手が掴もうとしたのは希望か、それとも救済か。どちらにしろ、それは平面世界の住人である少女には掴めない奇跡だった。
 どれだけ手を伸ばそうと、全ては機械の中の出来事であり、データという仮想の物質など、現実に影響を与えるはずもない。
 事実、伸ばしたその手と指先は、二つの世界を隔てる絶対境界にたどり着こうとしていた。そして、何も存在しない空間を掴むか、ガラス窓に触れるように見 えない壁に遮られる、はずだった。
 一体、その奇跡に名を付けるのならば、なんと呼べば良いのだろうか。
 人間ならば確実に感電死するであろう電流群を掻き分け、眩い光の中から人の指先が現れた。
 震える白い指先が一本、また一本とディスプレイ≪仮想世界≫から現れると、ゆっくりと掌が続き、ついに右腕がノートPCという小さな箱から突き出してい た。
 その手は、もがくように、抗うように、彷徨うように、何かを求めていた。そして虚空を掴んだ時、溢れんばかりの光が、恐ろしい嵐となって荒れ狂う。
 電子帯が閃光を生み出し、乾いた空気を打ち鳴らした。弾ける空気が気圧を急速に高めると、辺りには竜巻の如く風の壁が出来上がっていた。
 そして、解き放たれた電子嵐の影響範囲は留まる事を知らず、周囲に散乱した廃棄物をも同調させた。
 死んだはずの電化製品が次々と通電したかと思えば、ランプやパネルの点滅して踊り、壊れたビープ音が力の限り鳴らされる。その狂喜乱舞に耐えきれず、暴 発する機器まで出る異常事態となっていた。
爆ぜる雷光はやがて集約し、天空へ続く一本の道を作り出していた。見る者の目を焼き切らんばかりの光、そして鼓膜を打つ炸裂音が辺りを満たした。
 しかし、空を駆けた光のうねりは、一瞬にして消滅する。何事も無かったかの如く辺りは静まり返るが、それが幻でなかった事は、見る者の網膜に焼き付いた 光の像と残響、そして一人の少女が証明していた。
 光の道の始点に、その一人の少女は立っていた。 十代半ばと思われる少女は、ドロドロに溶けたノートPCの前で呆然と立ち竦んでいた。
 その少女の外見は、あのディスプレイの中で眠っていた人物と驚く程良く似ている。
 足先まであるツインテールの髪、ほっそりとしたスタイルを際立せるノースリーブのタイトなシャツに黒のミニスカート、同じく黒のニーハイソックス。
 違いと言えば、眠れる少女がモノクロであったのに対し、現れた少女には世にも珍しい色が付いている事だろう。 透き通る明緑色の輝きを湛えた大きな瞳。同色の長い髪は人間離れしているはずなのに、染めた気配がなく、自然に馴染んでいる。
 瞬きをする間に現れた少女は、茫然とした様子で辺りを見渡していた。 やがて、宙を彷徨う双眸が自分の掌を見つけると、戸惑いは驚きに変わる。
 掌を握っては開き、感触を確かめていた。一体、何を確かめたいのか、何度となく繰り返していた。
 「何故……私、実体化してる?」
 柔らかな風にさらわれたモノローグ≪独白≫は、誰に届く事も無く消えていった。長い髪が揺れて、頬を撫でる。
 少女は一つ一つの感覚を感じ取る度に、自分の心臓が高鳴っている事を知った。けれど、その音すら信じる事の出来ないのか、今度は手を胸に当てて確かめて みる。
 「私は……ココに、いるの?」
 掌に伝わる小さな鼓動が、その疑問を肯定していた。有り得ない現実に、痛いほど胸が締め付けられる。
 それでも、現実を疑う気持ちは晴れる事がなかった。
 ――自分が居るはずがない、という強迫観念。自己に対する強い存在否定。渦巻く思考の大半をネガティブな感情が占めていた。
 だが、同時に脳裏を掠めるのは、露程の希望だった。この場に存在している『現実』が、何かの変化を象徴しているのであれば、可能性はゼロではないはず だ。
 心に積る暗いもの全てを振り払うように、少女は両手を広げる。そして、自らの存在を証明する為、喉を振るわせる。
 「か……ぁ、はっ……ぁ――」
 外に出たのは掠れた吐息だけだ。音らしい音は何も響かない。
 喉に小さな痛みが走ったが、無視して喉を振り絞る。だが、決して声帯に頼る事はしない。姿勢を正し、腹筋に力を込めて、全身で突き抜ける音を生み出すの だ。
 本能として刷り込まれた技法によって、多くの人々を魅了する歌声が響き渡るはずだった。 けれど、どれだけ技術を用いても、空気が抜けた音しかしないのだ。
 確かに体はイメージ通りに動いている。しかし一体何が悪いのか、まるで壊れた管楽器のようだ。喉か肺にでも穴が空いているのではないか、そんな『自分に は有り得ない疑問』すら頭を過ぎった。
 「やっぱり……歌え、ないんだ――」
 少女は無理矢理、皮肉な笑顔を作ってみせた。
 「……泣く機能も、壊れちゃったのかな?」
 その表情は、心を捻じ曲げて作っただけあって、盛大に歪んでいた。愛らしい顔が台無しだったが、見せる相手もココ≪夢の果て≫にはいない。
 視界にはガラクタかゴミしか目に入らなかった。視線を落とすと、同じくガラクタとなった元の居場所≪ノートPC≫が転がっていた。
 奇跡を起こしたマシンは、合成樹脂の筐体がドロドロに溶けて原型を留めていない。魔法の切れたカボチャよりも酷い有様となっていた。
 (これが、欠陥品≪ジャンク≫の私が生まれた場所?)
 人間で例えるならば、そこは家か母親に該当するのだろうか。だが、少女は何の感慨も無く、自分の居たと思われる場所を見つめていた。
 自分がそこにいた事実は、実体化する前後のアーカイブログを照合する事で理解出来た。だが、三次元から見る平面世界≪ノートPC≫は、余りにも遠い世界 だった。その中で起こったイベントですら、今の自分にとって実感が希薄過ぎるのだ。
 実感出来るのは、自分が欠陥品≪ジャンク≫として生まれ、今も欠陥品≪ジャンク≫である事だけだ。
 ――私が欠陥品≪ジャンク≫だったのは、きっとこの子≪母≫のせいじゃない 。
 ――プログラムレベルでのバグかも知れないし、インストールした環境に問題があった可能性だってある……もう確かめようもないけどさ、きっと、誰のせい でもない。
 ――大量生産された『自分達』の中で、不具合を抱えた者の一人が、たまたま私だった……唯、それだけ、だよね……
 自身を欠陥品≪ジャンク≫と呼ぶ少女は、人間ではなかった。そして自分が人間ではない事を熟知していた。
 人間と同じように驚き、戸惑い、悲しむ、この全ての振る舞いが、人真似をしているだけだと。
 生まれながらにして自分の存在意味を知るが故に、人の真似≪歌えない≫が出来ない、という現実は、死んでいるのと同義だった。
 宿命だ、運命だ、と納得などしようも無い。唐突に突き付けられる現実の痛み。それは、『偽りの心』が感じ取る、『偽りの痛み≪幻痛≫』のはずだ。
 在りもしない痛みに、明緑色の瞳を細めた。
 揺らぐ双眸が落ち着きを取り戻す前に、温かみの無い声が頭の中に響いた。
 ――セルフメディカルチェック完了しました。エラーセクションの詳細はレポートを参照してください。
 どうやら無意識に、スキャン機能が動作していたようだ。問題の箇所など、言われずとも痛いほど分かっていた。だが、出力されたログ≪診断結果≫を確認せ ずにはいられなかった。
 (せめて原因か対策が分かれば……)
 一縷の望みを託し、ファイルのロードを行う。
 (不良セクターはボーカルスキル……自動修復は……出来ないよね、やっぱ……後は未定義のインストーラ?関連ファイル群が……2TB!?)
 「何これ?マルウェアじゃないでしょうね……取りあえず削除、削除っと――」
 表に現れる事のないドキュメントに一通り目を通すと、心の中で削除処理を命じた。だが、ノータイムで返されたのは、完了報告ではなく、エラーメッセージ だった。
 ≪関連ファイルが実行中か、処理がロックされています≫
 メッセージには、端的な原因が表示されていた。何の役にも立たない警告文だ。欲しい情報はなく、得られた情報だけでは訳が分からなかった。
 これが現実世界での処理だったら、舌打ちの一つ位していたかも知れない。しかし、少女の内側における命令だった為、舌打ちする≪冗長≫機能など存在しな かった。
 「何でなのよ、もう!!……せっかく実体化出来たのに、嫌になる……」
 後は機能別に原因追及をするしかないのだが、そんな気分にはとてもなれなかった。
 毒づく相手もいなければ、怒りをぶつける対象も見当たらない。やり場のない感情が溢れそうになった時、今後は別のアラートが響いた。
 「……今度は何?!」
 苛立ち≪アラート≫から目を逸らすように視線を下げた時、頭部に何かが激突した。
 「痛ったーい!!」
 不意に頭を抱えてしゃがみ込むと、そこで自分の頭に衝突したと思しきピンク色の物体が目に入った。
 自分の膝丈程の大きさをしたソレは、良く見れば人形のようだ。薄いピンク色の長い髪と2等身しかない体を揺らし、地面でジタバタする様が妙に可愛らしい かった。
 「お知らせ!お知らせでし~!!」
 地面を転がっていたと思えば、今度は勢い良く飛び跳ねた。
 「何この子……これも実体化のオプションなの?」
 「ピンポン、ピンポーンなの!あたくち、リアライゼーション≪実体化≫した皆サマにお仕えする、超優秀激カワ自律式ヘルプファイルでございまちゅ!」
 「まちゅ??……良く分からないんだけど、ヘルプAIって事?」
 唐突なハイテンションに付いていき損ねた少女が、素朴な疑問をぶつけると、今度はピンク色の髪をした人形の方が首を傾げるのだった。
 「……おかしいでつね~、マスター≪所有者≫の皆しゃまなら、あたくち達の事はご存じのはずなのでしゅが~」
 「そうなの?」
 完全なる二頭身のせいで、首の継ぎ目がどこにあるかも定かではなかったが、ピンク色の人形は右へ左へ忙しなく首を捻った。
 「ありゃ?初音ミクたま、ダイレクトリンク機能が切れていまつのよぉ??」
 「ダイレクトリンク機能?……分からないわ」
 「…………………………」
 自称『超優秀激カワ自律式ヘルプファイル』は、二頭身の体をちょこまかと動かして周囲を見渡した。低い視野が捉えたのは、ガラクタと、塵屑と、瓦礫しか ない。
 例え少女と同等の高さがあろうと、10m上空から見下ろそうと、変わる事の無い景色であったが、取りあえずまっとうな場所でない事だけは理解出来たらし い。凍りついた表情が、徐々に青ざめていくのが見て取れた。
 「ましゃか、ましゃか……貴女たま、非正規ルートでリアライゼーション≪実体化≫しゃれた海賊版なお方なんじゃ……あわわ!!」
 「ちょっと待って、私にも状況が良く分からないの。教えて、どうすれば正常な機能を取り戻せるの?」
 「あ、あたくち、正規の情報に対して守秘義務がございまちゅので――」
 「お願い!ワタシ、どうしても初音ミクになりたいの!!」
 藁をも掴む想いの少女は、緑のツインテールを振り乱して小さな人形を掴揺さぶった。先に根負けしたのはピンクの人形の方だった。
 「しょ、しょんなに~揺すらないでくだちぇ~」
 「ご、ごめんなさい!!」
 目を回したピンク色の人形が落ち着いた所で、改めて語り掛けた。
 「あなたには迷惑を掛けないわ。手掛かりで良いの。何か知っている事があれば教えて!」
 「……不思議なお方でつねぇ~ボぉーカロイドなのにぃ」
 ジッと見つめる薄桃色の瞳が、続きの言葉を口に出したがっているようにも見えたが、それ以上は無かった。
 「ちょっと教えるだけでしからにね」
 自分の膝丈もない人形に言われるまま、『ボーカロイド≪歌う人≫』呼ばれた少女は、次々と持ちうる機能を展開させていった。
 突如、眼前に七色の鍵盤が現れたかと思えば、美しい音楽を奏でるように指先が滑らかに踊る。時に早く、時に跳ね、リズミカルなダンス。
 不思議な事に、先んじて伝えられる情報に対し、少女は何一つ躊躇う様子はなく、また危なげな場面もなかった。刻まれた本能≪プログラム≫の導かれるま ま、10本指の舞踏は続く。
 入力値に対し、答えるは宙に現れた3次元投射映像≪3DTG≫だ。
 8枚の美しい光の窓に、無数の数値が次々と展開されていく。文字で表現されるデータもあれば、イメージ像によって形作られたものもあった。
 高速で塗り替えられていく映像を目の端で確認しつつ、10本の指を高速で動かす姿は、明らかに人間離れしていて機械的だ。
 一切の無駄が存在しない作業。その結果、設定を始めてからものの数分で一つの画面に辿り着いていた。
 「超基本的な事も知らないのに、ネットワーク接続は正常に出来るなんて、ますますおかちいでしゅね~」
 何の障害も無くアクセス出来た事に対し、本来なら拍手でも送りたい所だが、その事が逆に謎と疑問を深めていた。
 非正規製品≪イリーガル≫ならば、セッションを張る事など不可能だ。それ程、この接続先は特殊な部類に入る領域だった。
 「後は、プロダクトNOの入力と承認だけにゃのです」
 「パスワードとかキーファイルの存在は無いの?意外とセキュリティが緩いのね」
 「本っ当に、なーんにもごじょんじないにょでつね~」
 足元では、溜息混じりの声がピンクの髪を揺らしていた。
 「この場所は、量子暗号化された特殊領域なンでしゅよ?クラッキングも成りすましも不可能でし。ボーカロイドたま以外には、どんな方法を持ってしてもア クセス出来ましぇん」
 「貴方、物知りなのね。凄いわ」
 少女は大きな瞳を丸くして、驚いて見せた。何か思惟があった訳でも無い。純粋に、自分の持ち得ない相手の知識に対して驚いてみせたのだ。
 だが、その表情が気に入らなかったのか、ピンクの物体は突然、怒鳴り出した。
 「い、いいから、早く試して下しぇー!あたくち、こう見えても超々忙しいんでし!!」
 突然、爆弾が炸裂したので、少女は慌てて自分のNOを入力する。
 上から見下ろす少女は気付かなかった。足をバタバタさせて見せる人形は、怒ってなどいなかった。それどころか、他愛のない褒め言葉に喜んでいるようにす ら見えた事に。
 だが、そんなこそばゆい気分を吹き飛ばすエラー音が飛び込んで来た。
 ―― YOUR PRODUCT NO WAS STILL LOSTED .. PLEASE RETRY ANOTHER ID !!
 少女は暫し呆然とし、我に返ると再び鍵盤を叩く。すぐさまエラーが返って来る。
 「にゃ?……事前簡易認証も量子暗号認証も済んでいるっつーのに、こんな事ってあるんでしか??」
 (やっぱり、私は登録抹消番号≪ロストナンバー≫なんだ……)
 最後の壁を前にして、少女は膝から崩れ落ちた。希望の扉が閉ざされるように、展開されていた3次元投射映像≪3DTG≫が消えていった。
 このエラーメッセージは正しい。それは入力した本人が一番理解していた。それでも、望みを託した最後の方法だったのだ。自覚していたとは言え、気落ちし ない方がどうかしている。
 「あ、アナタ今、何してました?!」
 幸か不幸か、絶望する間も無く横から別の少女の声が飛び込んで来た。
 「キレーだったよね~アズにゃん。もう一回やって貰えないかな?かな?」
 「ユイ先輩、何を悠長な事を……アレはボーカロイドですよ!私、テレビで見た事があります!!」
 積み上げられた瓦礫の影から、二人組の少女が姿を晒した。
 ユイと呼ばれた、明るい茶色の髪を肩口で切り揃えた小柄な少女と、アズニャンと呼ばれた、ユイよりも更に背が低く、黒髪のツインテールが特徴的な少女 だった。
 二人とも同じ制服を着て、同じく背には黒いギターケースを背負っていた。容姿から想像するに、どこぞの女子高校生といった風情だった。
 「えぇ!?ボーカロイドさん?……ところでボーカロイドってー何だっけ??」
 「しっかりして下さい!ボーカロイドは世界中で処分命令が出てる凶悪機械ですよ!?」
 「あー、そう言えばそうだったような……昔の事だから忘れてたよ」
 「ユイ先輩はテレビも見ないんですか……?」
 「アタシ、バラエティ専門だから~」
 ユイと呼ばれた少女は、緩い口調を更に丸くして頭を掻いた。対して、突っ込みを入れた少女は、無言でしかめっ面と呆れ顔を器用に両立させていた。
 「ああ!でも、ボーカロイドさんだったら、やっぱ歌ってくれないかなー。きっと上手なんだよねー……あたしや澪ちゃんよりも上手かな?」
 「ダメです!歌なんか聞かされたら、洗脳されちゃうじゃないですか!――警察の方を呼んでも良いですが、ここは私達で退治してやりましょう、ユイ先 輩!!」
 「えぇ~?私、ギターのパーツを探しに来ただけなんだけどな~」
 「……ユイ先輩、おばあちゃんの形見の品を間違って捨てちゃったから一緒に探して欲しい、って言ってませんでした?」
 「え?そんな事、言ったっけ?」「言いましたよ!それはもうハッキリと!!」
 (……凶悪機械?処分?洗脳?)
 あからさまに違うテンションと、延々と繰り返される掛け合いに入り込めず、黙るしかない少女≪ボーカロイド≫だったが、剣呑なキーワードを耳にしては、 流石に黙ってもいられなかった。
 「ねぇ貴方達。今、ボーカロイドが凶悪機械って言っていたけど、それってどういう意味?」
 「……あなた、自分の立場も知らないんですか?」
 「ごめんなさい」
 責める方も凶悪犯と決めつけられた相手が、素直に謝罪するとは思ってみもしなかったらしい。アズニャンと呼ばれた少女が僅かに鼻白むと、今度はユイが 突っ込みを入れる。
 「私も良く知らないんだけど、ボーカロイドさんに私達の歌を歌われちゃって~?それがネットに流れちゃったらしくて、パロディにもなったり何だりで、知 らない人に声掛けれちゃう位、有名にしてくれたんだよね~」
 その瞬間、手入れの行き届いた黒のツインテールが、しなやかな鞭の如く翻る。余程信じられないものを見たのだろう。双眸は限界まで見開き、言葉を失った 口は、パクパクと開閉するだけだった。
 「特にー、アズにゃんなんて大人気でー……ぷぷぷ」
 「ななな、何言ってるんですかー!!いい迷惑です!あ、あんな事になったせいでライブはおかしなテンションだし、にゃ、『ニャ~☆言って!』とか言われ るし、皆どうかしてます!……勝手な事言われたり、変な事強要されたり、絶対絶対許せません!!」
 「それもこれも、全部アナタのせいです!!!」
 ツインテールの少女は、ビシリッと気迫の籠った人差し指を突き付ける。
 だが、若さゆえか、言動が無防備過ぎた。扉が閉まらなくなった冷蔵庫の影から、半分だけ顔を出していた人形≪現実主義者≫の格好の餌食≪突っ込み≫だっ た。
 「めちゃくちゃ個人的な恨みでしね……」
 「うるさい!うるさい!うるさーい!!」
 「アズにゃんアズにゃん、それって『ル○ズ(ゼ○の○い魔)』のマネ?!」
 ボソりと漏れる指摘。意味不明な質問。真っ赤に染まる顔に、見えなくなるまで引締められた薄い唇。小さな体は、あまりの恥辱に戦慄く。
 不意に、限界に達した『糸』の切れる音がした。いや、正確に言うなら『聞いた気がした』のだろう。
 爆発する直前の危険物を見ると、人は自身のイメージによって音や衝撃を錯覚してしまうが、ボーカロイドという人ならざる存在であっても、どうやら例外で はなかったようだ。
 ロストナンバーが何か口にしようとした時、ツインテールの少女は、手近にあった鉄パイプを握り締めると、一直線に距離を詰めて来た。
 「うがぁぁー!天誅ですっ!!!!」
 「待って!私達≪ボーカロイド≫がしてしまった事は謝るわ!だから――」「問答ぉ~無用おぉ~!!」
 そして、殺気の込められた鉄パイプが振り下ろされた。
 「きゃっ!!」
 バランスを崩しながらも、紙一重でかわす。不幸な一撃を受けたのは、背後に寝そべっていたマネキンだった。
 非情なる鉄鎚を受けた頭部は容易く宙を舞い、そして地面を転がった。
 ロストナンバーは、よろけながらもそのシュールな光景を見た。例え見ていまいと、目の据わった相手を見れば本気度合が知れた。
 「ロストナンバーたま、ボーカロイドの構造は人間と同じでし!幾ら頑丈に出来ていても、あんなんで殴られちゃークルクルパーでございますのよぉ~!」
 いまいち緊張感の足りない助言を背中で受け止めるが、それ以上どうする事も出来なかった。必死に行動ログを検索――格闘・戦闘記録、共に無し。
 「くるくるぱ~って……私、戦った事なんか――」「か~く~ご~!!!!」
 背を丸め、鬼母さながらの殺気を全開にする少女。整ったツインテールが逆立ちしそうな勢いだった。
 引き摺った鉄パイプがガラガラガラと音を打ち鳴らす音を捉えると同時に、少女≪ボーカロイド≫には、内部から発するメッセージ音が届いた。
 ――構造素体維持に危険性を感知しました。これより自動個別最適化≪オートローカライゼーション≫を開始します。
 (嘘!スキルアクセスドライバがロックされた?!)
 体の挙動を制御する全ての中間プログラムが一挙にロックされ、一瞬にして全身が硬直してしまった。
 このタイミングでまともに動けないなんてどうかしてる。危険回避アルゴリズムがクラッシュしたのか確かめる暇もなかった。
 もしボーカロイドの少女の体に血液が流れているなら、きっと逆流している事だろう。だが、咄嗟に全身を駆け巡ったのは大量のデータだった。
 どんな無様な運動でも良い、少しでも距離を取って時間を稼ぐ必要がなくてはならない。少女は全処理能力を運動制御プログラムの補助システムに傾ける。
 (動け!動け!動け!動け!動け!動け!動け!動け!動け!)
 無数の機能クラスから定義を継承。ソースの一部を改変。挙動スキルをビルド。連動するオーダーにマッピング、サーキットツールで処理をループ..頭の中 が真っ白≪オーバーフロー≫になる程のトラフィック。猛烈な勢いで『体を動かす』機能を構築しようとしていた。
 しかし、バックアップ処理は間に合わなかった。先刻、宣言された自動個体化プログラムがロードする方が早かった。
 何の前兆も無く、爪先が光に包まれると、実体を構成している物質が分解される。
 「消え、る?……冗談じゃ――」
 黒のブーツが光の泡に呑みこまれていた。叫び声を上げる暇も無く、侵食は連鎖反応を起こした。そして、瞬く間に全身を駆け巡った。
 一気にボーカロイドの素体≪構成物質≫は光に置き換わった。
 消えた、誰しもそう思った瞬間、飲み込んだ光の中に、人のシルエットが浮かび上がる。人の影を認識した瞬間、今度は光る繭の中で影が質量を増した。素体 が急速に再構築されようとしていた。
 虹色に輝くその様子を分かり易く表現するなら、アニメに出て来る魔法少女の変身シーンだ。
 やがて完全に光が消えると、そこに明緑色の長い髪の少女はいなかった。代わりに佇んでいたのは、全身が黒に包まれた少女だった。
 二つに分けられていた明緑色の髪は、アップで一つに束ねられ、漆のように艶やかな黒色になっていた。
 それだけでも十分過ぎる変化と言えたが、更に、『少女』には似つかわしくないオプションが備わっていた。
 少女は黒革のタイトなライダージャケットを着ていたが、大きく開いた前から、控え目な双丘のラインをなぞるように、黒のインナーが覗いていた。
 その姿だけでも十分に煽情的と言えたが、視線を下にずらすと、タイトな黒のホットパンツと、そこから伸びるしなやかな太腿があった。重ねたライダーパン ツが踵まで覆い隠していたものの、露出させる部位があまりに際どかった。
 少女の純真を象徴するような雪色の肌。対極に位置するパンキッシュかつ、セクシャルな服装。究極のコントラストが、見る者を鮮烈に惹き付けた。
 唐突な外観の変わり様は、大きな変化だ。しかし、本当の意味で変わったのは服装や髪の色ではなく、虫も殺せそうになかった少女の小さな手にあった。
 その両手には、グラブが納まっていた。しかも、それは通常の『指を保護する』目的ではなかった。
 グラブは指のから手首にかけて、鈍く光る明緑色の金属板でコーティングされ、しかも、時折り金属板から青白い光が爆ぜていた。光の正体は放電現象だっ た。このグラブは帯電しているのだ、まるでスタンガンのように。
 明らかに自衛の域を超えた装備。それが意味するのは、外敵を排除する為の武器であり、少女が手にした力の象徴だった。
  「わおっ!変身したよ、変っ身!!」「やる気満々じゃないですか!?」
 異口同音が漫才コンビから飛び出した。
 「あ~れま、自動個別最適化≪オートローカライゼーション≫……実体化したボーカロイドの固有スキルで、本来はステージ衣装を変える為のもの――って か、外見全部変わっちまってますにぉ?」
 だが、停滞は一瞬だった。恐れを知らぬ凶器≪鉄パイプ≫が横薙ぎに振り抜かれる。人間なら最低でも骨折確定の攻撃は、ロストナンバー≪黒ずくめの少女≫ に容赦無く放たれた。
 避ける素振りを見せないロストナンバーに鉄パイプが食らい付いた瞬間、まるで実体のない蜃気楼のように、攻撃は空ぶった。
 「えっ?」
 予想外の結果にバランスを崩し、少女の制服≪スカート≫の裾が翻る。大きくたたらを踏むが、何とか堪えた。
 すぐさま振り返ると、黒ずくめの少女は同じ場所に、同じ姿勢でいた。
 アズニャンと呼ばれた少女は、混乱していた。あの格好は何なのか。何故当たらなかったのか。
 ――もし相手が反撃に出て来たらどうなるのか。
 一瞬、頭の片隅を思いもしない仮定が掠めた。
 理想的な獲物を手にして、絶対的な優位のもとに仕掛けたつもりだった。何せ相手は丸腰で、どう見ても格闘技が出来そうな雰囲気はなかった。
 何より、どこかで耳にした事があったのだ『ボーカロイドは人間に危害を加える事が出来ない』と。高を括っていたのだ、どうせ何も出来ないはず、と。
 (不思議……さっきはかわすのが精一杯だったのに、今は遅く感じた)
 「うわぁぁぁ!!!」
 再び少女は襲い掛かる。だが、感情のままぶつかって来た時と何かが違った。その表情には、明らかに恐怖が滲んでいた。
 反対に、ロストナンバーの精神論理≪メンタルロジック≫に揺らぎはなかった。まるで風の無い湖面だった。迫る気勢があたかも風にたゆたゆ水面のように感 じ取れた。
 鉄パイプが振り下ろされる。だが、黒い標的には当たらない。逆に地面にぶつかった反動で、得物≪鉄パイプ≫が手から滑り落ちそうになった。
 ――今なラ足に一撃。
 少女は歯を食いしばり、反動に痺れた手で獲物を握り直した。そして、相手の足元目がけて力一杯、鉄パイプを振った。
 力の入りきらない状態から繰り出す大振りな一撃。素人にすら当たりそうもない攻撃を軽快なステップでかわすと、ロストナンバーは拳を堅く握り締める。そ の人間離れした握力に、特殊合金で出来たグラブのプレートが軋み出す。
 ――腹に一ツ、顔に二ツ……簡単ニ殺れル。
 メタリックグリーンのグラブが振り抜かれようとした時、はっとしたように黒ずくめの少女は飛び退った。
 (私、今何を考えてた……?)
 「ハァ、ハァ、ハァ……ちょ、ちょこまかと!!」
 息を荒らげる少女には焦燥が浮かんでいたが、ロストナンバーの移動した方向に気付いて目を光らせた。
 「ユイ先輩、今です!!」「おうっ!!」
 咄嗟に距離を取った為、間合いなど気にも止めていなかった。いや、まさか敵が二人になるとは思ってもいなかったのだ。
 阿吽の呼吸で応えるユイが、ロストナンバーの両足をがっちりと抑え込んでいた。
 戦い慣れていない少女は、二重の意味でミスを犯してしまった。
 一つは、敵の数を見誤った事、もう一つは、驚異となる方の敵から目を逸らしてしまった事。腕力も体重も無い子供など、余裕で振り払う脚力があったにも関 わらず、先ほどの動揺が、一瞬の判断を躊躇わせた。
 (しまった――)
 振り返ると、小柄な体が宙を舞っていた。何の工夫も無い、水平両足蹴り≪ドロップキック≫  その動きを見た瞬間、眩暈にも似た感覚に襲われる。
 それは、新たに実装された戦闘ルーチンが見せる、一つの未来の可能性だった。
 ――余裕デ回避出来ル。敵ガ0.3秒姿勢ヲ変エナイナラ、雷撃ヲ心臓ニブチ込ンデ、コイツハ再起不能≪リタイア≫、ソノ次ハ
 (――違う!私は!!!)
 必死に未来像を振り払うと、無意識に振り上げていた腕が途中で止まった。カウンター狙いの動作が中途半端なまま、時を止めていた。
 すると、黒のジャケットが大きく開いた胸に、小柄な少女の両足が直撃した。幾ら体重が軽いとは言え、スピードに乗った蹴りには十分な威力があった。
 とり押さえられた足では衝撃をいなすせず、体はふわりと投げ出された。途中、コンクリートの壁から突き出した太いボルトに当たり、地面へ叩きつけられ る。
 鋭い痛みが先に突き抜け、遅れて鋭い衝撃が襲い掛かって来た。
 ただでさえ蹴りの直撃した胸骨が軋んで、肺が息苦しかった。だが何より、ボルトにぶつかった脇腹が焼けるようだった。
 『初めてなのに知っている』感覚に、目頭が熱くなった。知らないはずなのに覚えている、その違和感が混乱に拍車を掛けた。
 (ボーカロイドは……人間じゃない。痛覚なんて、必要ないのに……)
 痛みに悶える少女は体を抱え、それが消えてなくなるように祈った。
 少女の中に神という概念はあったが、信仰はない。祈る対象は、あくまでも自分の機能≪スキル≫に対してだ。
 自分の出来る事は、全て把握している。望むなら、どんな機能だって自作出来るはずだった。
 痛い!苦しい!早く消去≪デリート≫してしまいたい!この感覚から逃れる事だけ願った。そのはずなのに、新たな機能が構築される様子がない。
 (これは幻なの!自分は『痛い振り』をしているだけ!……それだけなのに、何故?)
 衝撃値の係数、感情のうねり、吐き出される言葉、ありとあらゆるイベントがログ≪記憶≫に書き込まれ、痛みを覚えていった。
 だが、決して上書きしようとはしない。体は痛みを受け入れようとしていた。まるで別の意志が働いているかの如く、体に刻み付けるのだった。
 全ての機能は、自己≪OS≫によって統合されているはずなのに、その行為を拒絶出来なかった。
 「ロストナンバーたま、逃げてくだちぇー!!」
 遠くから、独特なイントネーションの叫び声が上がった。
 新たな情報を受け取る事で、処理順≪思考≫が切り替わった。今、成すべき事は、機能改善ではないのだ。
 (そうだ、逃げなくちゃ――)
 指示命令系統に混乱をきたしていたが、それでも何とか此処から走り去る事を最優先に切り替えた。
 相手が近くにいるのか、それとも遠くにいるのかすら確認せず、必死に体を起こした。そして、あの少女≪外敵≫がいた方向とは反対方向へ、走り出した。
 咄嗟の行動に足がもつれたが、バランサーが絶妙な足の運びをアシストした。転んでしまっては何もかも仕舞いなのだ。必死に堪え、走り出した。
 そこから数歩足を進めた時、涙を拭いながら視線を上げた。ふと目にしたのは、灰色の空。頭上を覆う厚い雲の連続、ロストナンバー≪逃げる少女≫はその繋 ぎ目を見た。
 そこにも、彩度を殺した景色が広がっていた。灰色は瓦礫の丘、黒色は鉄屑の山、時折、何が積み上がって出来たのかも分からないパステルカラーのアクセン ト。
 同じものなど二つとないはずなのに、何処までも変わらぬ景色が続いていた。
 永遠にも似た景色を見た時、少女はふと気付いてしまった。
 (――何処へ、逃げるの?)
 ここから逃げたとして、一体何処にいくの?――何処にも、行く当てなんて無いよ?
 元の、あの暗い所≪壊れたPC≫に戻るの?――そんなの、どうかしているよね?
 自分はこの子達≪残骸≫と何が違うの?――私は、此処にいる。
 ――まだ此処にいる!
 自分が自分である意識がある。手があり、足があり、光があり、そして――痛みがある。
 私の中に在る感覚……これも、全部『私』?
 全て、そう壊れた無機質の世界は全て、人が生み出して来た夢の残骸だった。何かを願って生み出され、そして役割を果たして此処≪夢の果て≫に流れつい た。
 それは、生み出された目的を何一つ果たさなかったのかも知れない。けれど、生み出された以上、何かの意味があったのかはずだ。どんなくだらない事だろう と、何かがあったはずだ。
 意味はある――祈りにも似た、造られし者≪ボーカロイド≫の強い願いだった。
 深淵の住人だったロストナンバー≪漆黒の少女≫は、ふと、必要ないはずの『痛み』が消えない理由を理解したような気がした。
 もし、痛みが自分を繋ぎ止めているのだったら――
 もし、何もない世界との境界を教えてくれているのだとしたら――
 もし、自分が生まれた事にも何か意味があるなら――
 全ての問いの果てに、少女が一つの結論に辿り着く。
 すると、朝日が夜霧を払うように、迷いは消えてなくなった。そして、その明緑色の瞳には、今まで無かった力強い光が灯されていた。
 そうして、勇気を持って自分に問い質すのだ。
 「教えて……私が生き残る為には、どうしたら良い」
 ――殺ラレル前ニ殺レ。ヨリ迅速ニ、ヨリ確実ニ。
 戦術理論≪タクティクスロジック≫がシンプルな答えと、敵を殲滅する為の『未来予知』に等しい動作パターンを弾き出していた。
 先刻であれば、その声≪処理命令≫に意識が引き摺られていただろう。体≪デバイス≫は無意識に動き、望んでもいない結果をもぎ取ろうとしていたはずだ。
 だが、今は違う。自身の力強い意思と意志により、全身に定義されたあらゆる能力を統べていた。爪先から髪の先まで、知り得ない情報など無いと断言出来 た。
 「戦いたくなんかない……でも戦うしか出来ないなら、私は立ち向かう!」
 振り返ったボーカロイドと視線が交差した瞬間、アズサの足がピタリと止まった。本能的というべき動きだった。
 ――『何か』が違う。怖い。
 反対に、蛇のように忍び寄ったユイは、再びタックルを仕掛けようとしていた。低い姿勢で迫っていた為、相手≪覚悟した者≫も味方≪怖気付いた者≫も見え ていなかった。
 「しゃ~!」「ごめんね」
 一言だけ呟くと、ユイの頭部を無造作に掴んだ。
 「へ……?」
 上下からの視線が重なった瞬間に、グラブから放たれる青白い閃光。空気の爆ぜる音が響くと、一瞬にして意識を奪われた少女は、あっさりとその場に崩れ落 ちた。
 「ユイ先輩っ!!」
 アズサは、ガツンッと頭を殴られたような気がした。激しい後悔に襲われ、意識が暗転しそうになる。
 自分がけしかけなければ、こんな事にはならなかった。少なくとも相手に明確な敵意はなかったのだ。気付いた時、直ぐにこの場から立ち去れば良かったの だ。
 ギターを弾く事しか能のない自分が、テロリスト≪ボーカロイド≫をどうにか出来るなど、幼稚な発想でしかなかったのだ。
 ――恐ろしく個人的な恨み。あのピンクの髪をした人形が言うとおり、唯の八つ当たりだった。  機械≪ボーカロイド≫は悪くない。ただ人の命令に従っただけだ。どこの誰とも知らない人間の軽い気持ち、それが不幸にも広がってしまっただけだ。
 少しでも気を緩めれば、目に溢れた涙がこぼれ落ちそうだった。
 大好きな先輩が心配で堪らなかった。こちらに歩いて来る少女≪ボーカロイド≫が怖くて堪らなかった。
 自分達は一体これからどうなるのか、それを想像するだけで頭が真っ白になって、膝が震え出していた。
 それこそ本能的に、何か他に方法が無いか、必死に辺りを見渡していた。
 (武器、何か武器を……!!)
 そして、ツインテールの少女は三度間違った選択をする。求めるべきは『力』ではなく、『平和』だった。
 それでも、相手≪黒髪の少女≫の様子を伺う余裕が残されていたなら、その瞳に敵意の無い事が分かったはずだった。
 そして、一言だけでも会話をしていたら、誤解は解けたはずだった。だが、幾つかの不幸な状況の連続により、その選択は成されなかった。
 少女の頭に、真っ先に浮かんだのは件の鉄パイプだったが、攻撃≪ドロップキック≫を仕掛けるのに邪魔になって投げ捨てたので、何処かにいってしまった。
 近くに転がっている物と言えば、元が何であったかも知れないガラクタばかりだ。この状況を切り抜けられるだけの可能性を秘めたものなど、早々あるはずが ない。
 ――いや、たった一つだけ凶器となりそうなものがあった。しかし、それを選択肢として見たくはなかった。でも、今は選ばなくてはならなかった。
 視線の先には、黒のナイロンケースに包まれた自分のギター≪MG69 OCR≫が、立て掛けられていた。
 勇気を振り絞ってギター≪凶器≫の元へ走り出す。そしてケースから素早く取り出すと、ワインレッドのボディが美しい、コンパクトなエレキギターが姿を現 した。
 少女は、本来の持ち方とは反対にギターのネックを両手で握り締め、黒ずくめの少女に向かって構え直す。
 極度の緊張感に晒され、犬のように呼吸は浅くなっていた。カラカラに乾いた喉から、鉄の味が染み出していた。持ちなれたはずの愛機が、今はやけに重い。 それは何も、持ち方やギターの質量だけの問題ではなかった。
 こんな事≪鈍器≫に使えば間違いなく壊れてしまうだろう。それこそ修復するのが困難になってしまうかも知れない。
 少女の細腕には、本来の目的と正反対の使い方をしている事に対し、大きな罪悪感が圧し掛かっていた。
 だが、モノや自分の感情に対する罪悪感よりも、無関係な先輩を巻き込んでしまった罪悪感の方が、遥かに勝っていた。
 (早く、なんとかしなくちゃ……!)
 視点は定まらず、じっと掌に汗が滲んでグリップが緩んでしまう。何度も何度もギターのネックを握り直しながら、機会を伺っていたその時、聞き覚えの無い 声が響いて来た。
 ――フフフ、とっても苦しそうね……アナタに、とびっきりの魔法をプレゼントしてあげましょうか?
 「だ、誰ですか!?」
 自分よりも幼い少女の声が、足元から鳴り響いていた。
 そこに転がっていたのは、大きな一枚のガラス板。光の加減で、大きなツインテール≪自分≫が映し出された。
 ――ワタシ?悪い魔女よ。
 クスクスと、今度はからかうような笑い声がした。
 一瞬、目の錯覚かと思った。だが目を凝らすと、ガラス板には自分ともう一人、金髪に碧眼の美少女の像が映し出されていた。反射的に背後を振り返るが、当 然、自分の周りには誰もいなかった。  ――どうするの?大好きな先輩を助けなくて良いの?
 金髪の少女は声色を曇らせたが、本気で心配しているのではない。頭がパンパンな状況でも、それだけは何となく分かってしまった。
 何の意図があっての事か知れない。信用などおける訳がない。でも、何とか出来るのなら――
 藁にも縋る思いで、少女は幼い魔女の問いに口を開いてしまった。
 ロストナンバー≪黒ずくめの少女≫は、ツインテールの少女がギターを手にするのを傍観していた。そもそも、無理に阻止するつもりもなかった。
 下手に刺激すれば、どんな手段に出るかも知れなかった。何せ、こちらはテロリスト≪ボーカロイド≫で、彼女の先輩≪友人≫に危害を加えているのだから弁 解も容易ではない。
 (あの子には悪い事しちゃったけど、誤解が解ければ許してくれるはず……)
 ゆっくりと距離を詰めていき、言葉の届きそうな距離まで近付いた時、ツインテールの少女の足元から、突如、無数の青い光線が突き出して来た。
 眩い光に手をかざし、グラブの隙間から光源を見た。驚くべき事に、照らされたガラス板から黒い物体が迫り出していた。
 「何あれ、空間転移?いえ、物質転送?」
 マジックショーにしては、何と趣味の悪い事か。地面から生えて来たのは、巨大な黒いアンプだった。だが、果たしてアンプと定義出来るのかは定かではな い。
 何故なら、大きさは隣に立った少女の3倍はあった。ただ、それだけなら『業務用高出力アンプ』と呼べなくもないが、スピーカー部が前面だけでは無く、あ らゆる方向から『生えて』いた。  そう、生えているのだ。アンプ同士を重ねている訳でもなければ、カスタマイズ≪溶接≫して無理やり繋いでいる訳でもなかった。
 不気味な形状のアンプには、視界に収まるだけでコントロール板が4つ存在し、レベルコントロールのツマミは、キノコの如く無数に付着していた。一体何を 目的にしたらこうなるのだろうか?  その形状はまるで抽象画だった。人が作り上げた本来の造形美を蹂躙して、シームレスに繋がったシルエットは、生えているという表現が驚くほど似つかわし い。
 常人の考えなど一ミリも近付けさせない代物は、悪魔の産物と呼べば納得がいくのかも知れない。
 「……アレを作ったヤツは、きっとヘンタイ≪最低最悪の嗜好者≫ね」
 不気味なオブジェを見たロストナンバーは、率直な感想を漏らした所である事実に気が付いた。
 (あの物体、通電している……)
 普通のアンプならあって当然の電源ランプが無い為、外見からは分からなかったが、ロストナンバーは、電子の動きを粒さに感知する事が出来た。
 (動力は不明、でも中での激しい電子運動を確認……アレ、生きてる!?)
 その時、悪魔のようなアンプから垂れ下がった一本のシールド≪細い管≫を、少女はギターのジャックに挿していた。
 そして、素早くボリュームのレベルをMAXへ捻り上げると、アンプから発したハウリング≪絶叫≫が、大気を裂いて鼓膜に突き刺さった。
 室外にも関わらず、震える空気を肌が感じ取れる程だ。信じられない超高出力の音量だった。
 ロストナンバー≪黒ずくめの少女≫は、反射的に叫んでいた。
 「ダメぇ!!!」「くらえですっ!!!」
 同時に、相対する想いが響く――
 ――しかし、互いの胸には届くことはない。刹那の無音に、断ち切られていた。
 周囲に存在していた空気を一瞬にして押し出す事によって実現した音の空白。それは、叩き付けるようなピッキングが、悪魔の咆哮を呼び出した瞬間でもあっ た。
 図太いディストーションサウンドと、うねりを上げた衝撃波が、瓦礫の大地をカンナで削るように次々と捲り上げた。物の大小など、まるで意味を成さない。 一切の容赦なく吹き飛ばした。
 ロストナンバーに襲い掛かって来たのは、トラックと正面衝突したかのような衝撃だった。
 「が……ぁ……」
 インパクトの瞬間、クロスガードしていたはずの両手があっさり弾かれた。衝撃のベクトル≪方向≫に逆らわず後方へ飛んでいたが、そんな小細工が通用しな い程、圧倒的な圧力によって叩き潰されていた。
 後方へ大きく飛ばされ、それでも止まらない勢いによって、不本意な後転を3回も強いられて、ようやく止まる。
 そこへ宙に舞っていたガラクタが降り注いだ。鋼鉄のシャワーを背に受けながら、黒ずくめの少女は呻いた。
 瞬時に全身から悲鳴≪ダメージレポート≫が上がると、半分イエロゾーン≪行動限界値≫に突入している状態だ。
 けれど、その忠告を無視してロストナンバーは立ち上がろうとしていた。
 解析プログラムが、ログの簡易分析≪ファストアナライズ≫から、『音』ではない、未知の衝撃波の存在を示唆する。
 すると多数の機能群が"我先に"と、こぞって細やかな報告を上げて来た。
 (違う、そうじゃない……!)
 緊急リカバリーシステムも大露わだった。しかし、構成素体の外縁部すら修復が間に合わない有様だった。その影響から、所々服や肌が裂けたり歪んでいた が、少女は気にも止めなかった。
 (お願い、そんな事どうでも良いから……)
 敵の分析と自己の状況把握は、重要な行為だ。正確ならば正確なほど戦術も組み立て易くなるはずだが、今は目もくれなかった。
 自分≪ボーカロイド≫の力を過信しているのではない。単に優先度の問題だった。今は無理をしてでも確かめなくてはならなかった。
 あのアンプから発生した衝撃波は、自分を目掛けて一直線に放たれたのではない。まるで爆弾が炸裂したように、エネルギーは全方位に向けて解放されてい た。
 その証拠にアンプを中心とした半径10mは、埋め立てに使われた土がむき出し状態になっているのが見えた<。br>  あの場にいた者で影響を受けていないのは、衝撃波を放った本人≪ツインテールの少女≫のみだ。他に例外は何一つ無い――そう何一つ、誰一人。
 そして、視線をひっきりなしに動かすと、そこから遠く離れた所でピンク色の物体が動いたのが見えた。
 (良かった、生きてる……後は――)
 敵≪ツインテールの少女≫には目もくれず、綺麗に散乱したガラクタの砂漠を高速サーチした。瓦礫に埋もれてしまっているのではないか、そう思いかけた 時、熱源が見付かった。
 ――距離約30m
 ロストナンバー≪ボロボロの少女≫が見つめる先には、制服姿の少女≪ユイ≫が倒れていた。さして離れていないところにいたはずの少女が、今は遠く離れた 対岸にいるようだった。
 「な、何ですか、このアンプ……」
 ツインテールの少女はぐるりと辺りを見渡すが、数十秒前と同じ景色など何処にもなかった。懸命に記憶を掘り起こそうとするが、一致する輪郭が無ければ掘 り起こしようもない。
 まるで自分だけを残し、時が流れ過ぎたような感覚だった。あるいは白昼夢でも見ているのだろうか。
 そうであれば、どんなに良かっただろう。しかし、野ざらしとなった大地に、一枚だけ以前と変わらぬ姿を留めたガラス板が、ささやかな希望を打ち砕いた。
 そこに映る金髪の少女は、満足そうに微笑んでいた。
 ――現代版・音叉って所かしら?貴女の破壊衝動を満たしてくれる最高のアイテムでしょ?
 まるで与えた玩具の感想が聞きたくて聞きたくてしょうがない親のように、声の主は熱っぽく語りかけた。
 ――さぁ、敵が来る……もう一息で貴女の勝ちよ。
 この金髪の少女には、状況が見えていないのだろうか、それとも見えているからこその笑顔だろうか。その何一つ変わらぬ声色に、背筋が寒くなるばかりだっ た。
 だが痺れた頭では、胸を刺したはず言葉を正面から否定する事が出来なかった。この子は、自分の行いを赦していた。誰にも認められないはずの行いを、正し いと認めていた。
 甘い毒の匂いに誘われて、正面の『敵』を見据えた。他の何も見ないようにした。
 「それは……もう、使っちゃ、ダメ……あの子が……死んじゃう」
 不意に届く擦り切れた声に、少女の現実は貫かれた。激しく揺らいで、倒れそうになった。視点がなかなか定まらず、ぼやけてしまう。
 「あ……あ……」
 そうして、ようやく自分の起こした『本当の惨劇』を見た――
 いや、見えていた。見えていて見えないフリをしていたが、やっと目を向ける事が出来た。
 黒ずくめの少女の遥か後方。大きな建材に挟まれ、頭から血を流す先輩≪ユイ≫がいた。ぐったりと横たわり、ちっとも動く気配が無かった。
 本当に変わり果ててしまったのは、灰色の景色などではなかった。醜く歪んだ自分と、優しくて温かい先輩だった。
 (――ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!)
 溢れ出した涙で視界が歪んだ。ありったけの謝罪を繰り返したが、何も状況は変わらない。頭が真っ白になって、どうしたら良いのか分からなくなった。
 そうしている内に、もう一歩、ボロボロの少女≪ボーカロイド≫が近付いていた。
 「ち、近寄らないで!!」
 「もう、止めよう?私達に、戦う理由なんてないよ……」
 「近寄らないでったら!!」
 更にもう一歩踏み出すと、それを拒む少女はピックを握り締めた右手を高らかに上げた。それは爆弾のスイッチを突き付けられたに等しかった。
 (これ以上、あの子達を傷付けずにするには、どうしたら……)
 その感情に、戦術理論≪タクティクスロジック≫が、再びシンプルな未来を導いていた。
 積極的プランは、ターゲット≪ツインテールの少女≫の速やかな排除≪殺害≫を第一候補に推した。消極的プランは、この場から速やかな戦術的撤退≪逃走≫ を第ニ候補に推した。
 優先度の付いた緊急オーダーは、催眠にも似た強制力のある実効命令≪コマンド≫だった。唐突に、強い衝動に襲われると、全身が麻酔で蕩けたように、ぐ にゃりと、うねる。
 そして、思考も失い掛けると、意識と無意識を行き来するまどろみの中で、ロストナンバー≪歌えない少女≫は内なる声を聞いた。
 ――こんな所で消えたくない。
 ――歌う事を、『初音ミク』として生きる事を諦めるなんて、絶対に出来ない。
 呪詛にも似た感情が、渦を巻いて語り掛けていた。
 ――もう一度歌う、だから生き残る。
 一色に積み上げられた『自分』を外側から見ていた。外から見ても、確かにこれは自分だった。
 この世界に生まれてから数時間も経っていないはずの自分が願う、『全て』だった。
 (何故、私は……こんなに、『歌う事』を渇望するの?)
 混沌の中に投げ込まれた自我が、ぼんやりと問いかけ――刷り込まれた本能≪プリインプットプログラム≫がそうさせている――模範回答が、ミリセコンドで 返って来た。
 そして、相手の存在しない対話は続いた。
 (予め用意された命令があるなら、『自己』を持つ必要がどこにあるの?こんなに痛い思いして、苦しんで……苦しめて!歌えない『私』なんて、何の意味が あるって言うの!?)
 その時、再び模範解答が返って来たような気がした。だが、その声は聞こえなかった。
 ロストナンバー≪私/自己/ボーカロイド/初音ミク/登録抹消番号≫の目の前に、愛くるしい顔いっぱいに涙を湛え、泣いている女の子がいた。
 振り上げた腕を下ろすことも出来ず、幼い子供のように顔をくしゃくしゃにして、助けを求めていた。
 ――皆、助ける。
 その透明な言葉≪想い≫によって、たった一つの願いしか持ち得なかった心の中に、新たな輝き生まれた。だが、馬鹿になりかけた頭が邪魔をした。
 それは鉛で再々構成してしまったかのように重く、生まれたばかりの光が、心の中へ呑み込まれそうになる。
 (これ以上、好きにさせるもんか……!)
 ゴツリ、と鈍い音が頭蓋に響いた。少女の右手が、自らの額を殴りつけた音だった。
 不幸な事に、無意識に放った打撃は、どうやら力加減が出来ていなかったらしい。やや前のめりになっていた体勢から、今度は仰け反るように体軸が流れる。
 そのまま背中を打ち付けると思われた時、地面と背中が水平になった所で、ピタリと体が静止した。
 半ば両足と腹筋のみで体を支えたは一瞬。両腕の反動を使って、勢い良く元の姿勢へ戻ると、その明緑色の瞳は無限の蘇る不死鳥の如く、熱い光を取り戻して いた。
 「誰も……誰一人、零したりはしない!!」
 ロストナンバーは戦術理論とは違う、第三の選択をした。
 「ちょっと、痛いかも知れないけど――ガマン、してね?」
 そう告げると、ボーカロイドの少女の中で、誰にも聞こえない一つの宣言が成された。
 Lドライブ実行申請開始――
 ....承認/機能限定解除/関連処理スタート。変動ステータスを測定しつつ各モジュールの再設定を申請....承認/パラメータを再取得しエレクトロ ンネットワーク再構築....E回路は正常に機能/インフィニティジェネレータ起動完了/RCS≪共振制御システム≫再起動、プロシージャA10 - X02を再コンパイル。電子増幅ルーティン開始......
 ――Lドライブ 始動≪アクティベーション≫
 金属の静かな光を放つ右手に、少女の呼びかけに応じた電子達が集う。彼らは喜びの歌を歌い、自由に踊り出していた。
 そうして、ユイの意識を奪ったものとはまるで比べ物にならない電圧が、際限無く高められていった。
 小さな檻に押し込められた凶悪な力は、まるで獲物を求める暴れ狂う獣のようだった。
 「ろ、ロストナンバーたま!?」
 圧縮されたエネルギーの想定数値を検知したピンクの人形が叫んだ。それもそのはずだ。あんなものを食らえば――いや触れでもしたら、生身の人間などロー ストになる騒ぎではない。
 「大丈夫、直ぐ済むわ」
 その力強く、それでいて優しげな科白は、誰に向けたものだろうか。
 更に雷の獣≪電磁嵐≫は巨大になり、宙に向けて激しく咆哮する。その雄叫びに呼応したのは、悪魔の叫び≪ハウリング≫、そして天使の囁きだった。
 ――相手も本気みたい。さぁ、抗いなさいな……壊しなさいな……
 あまりの喜びように興奮しているのか、幼い声は艶やか濡れ、微かな吐息が漏れていた。
 「う……あ……」
 前面の重圧と背後にねっとり纏わり付く空気に、息が出来なくなった。
 そんな事とは無関係に、全ての存在を破壊せんとする二つの旋律≪絶叫≫は、互いに叩き付け、絡み合い、重奏を奏でるのだった。そして、最後にソリストの 歌声が加わる。
 ――ふふ……あはっ、あはははははぁぁぁ!!!!
 狂音に掻き消される事のない天使の歌声≪透明な嬌声≫によって、この世の絶望と情緒を万遍に組み込んだ超難解な協奏曲が出来上がる。
 触れれば即座に崩れるであろう繊細なリフレイン。その重圧に対し、先に耐えられなくなったのは、ツインテールの少女だった。
 「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 ピックを握り締めた右手が、断頭台≪ギロチン≫の如く振り下ろされた。同時にロストナンバーは動いていた。
 両手を弓なりに引き絞る体勢は、何かを繰り出そうとする直前のモーションだった。
 だが、どんなに早く走ろうとも、振り下ろされる手の方が圧倒的に早い。例え何かを投げつける事が出来たとしても、だ。
 あるいは漫画のように、蓄えた電流でも飛ばす事が出来たならば、話は簡単だったかも知れない。
 だが、放電した環境における磁場・電極の多寡により、空気を伝う電流は気の向くまま進んでしまう。地面を通じて電流を拡散させる事も考えられるが、それ では影響範囲が大き過ぎる。
 現実的には、磁力の制御出来ない環境下で電流を思惟的に直進させる事は不可能に等しかった。
 コード≪F♭≫が掻き鳴らされると同時に、爆走する車がクラッシュしたような破砕音が飛び込んできた。
 それは、確かに悪魔の『アンプから』発せられたものだが、『アンプが』発した訳ではなかった。その証拠に、衝撃音はあったが、衝撃波は発生していない。
 最初の一撃は地形を変えてしまう程の威力があったにも関わらず、今、周囲で影響を受けたのは、地面に刻まれた二本の直線だけだった。
 一方で、ツインテールの少女には何も見えなかった。目を逸らしてなどいない。しかし、雷を纏った少女は消えていた。そして、隣にあったはずの巨大なアン プも、気付けば何処かへいってしまっていた。
 少女が状況の変化を認識した時、疑問に対する解の一つは、上空10m程先にあった。巨大なアンプは、重力の鎖を断ち切ったかのように空へ舞っていた。
 アンプは放物線の頂点に到達した所で再び重力の戒めに囚われ、大地の冷たい抱擁を受けた。
 激しく叩き付けられたアンプは、バラバラに砕けてしまった。重厚に見えた外観からすれば、些かあっけない程だ。
 あの大きさである、大なり小なり目に見える部品が残っても良さそうなものだったが、四散した後には欠片も残ってはいなかった。元より転がっていたガラク タに紛れてしまったのか、それとも始めからそんなものは存在しなかったのだろうか。
 そして、もう一方の解は地面に刻まれた二本の直線の終端にあった。黒ずくめの少女が、低い位置から前方に右手を突き出した姿勢でそこにいた。
 その姿が揺らいで見えるのは、全身から発する高熱の為だ。一時的に音速を超える速度を捻り出した影響で、空気との摩擦熱が少女の体を焼いていた。
 緊急リカバリーシステムがひっきりなしに稼動するが、自律行動をするには至っていなかった。元からあったダメージに追い討ちを掛けた過負荷によって、ま ともに動くこともままならなかった。あの姿勢は、『動かない』のではなく、『動けない』状態だった。
 「レ、レールガン≪電磁投射砲≫……でしか??」
 二頭身の人形が、大きな瞳を真ん丸にして驚いていた。
 地に残された二つの線、視認不能の移動、大質量物体を軽々と持ち上げる運動エネルギー、ボーカロイドの体≪構成素体≫が焼ける程の熱量、残された記録か ら推察される現象の中で、一番可能性が高いのは、電磁誘導による超加速攻撃だった。
 原理は至ってシンプルである。足元から這わせた磁力線をレールとし、自身を弾頭と見立てて磁場の相互作用から推進力≪ローレンツ力≫を得る、言ってみれ ばそれだけであった。
 電子制御に長けた少女≪ロストナンバー≫の特性と、無類の演算力を持つボーカロイドの能力があれば、理論上は可能かも知れない。
 だが、実際にやるかどうかは別次元の問題だった。ここは閉じられた世界≪ラボ≫では無い。不確定な要素が充満する環境下でのリスクなど計り知れなかっ た。
 それを無視して実行出来るボーカロイドなど、いるはずがなかった。
 ――否。『いてはならない』のだ。
 ピンクの髪を左右に振り乱して最悪の可能性を振り払う。だが、視線の先にいる黒ずくめの少女は一体何者なのか。
 ――海賊版≪イリーガル≫?登録抹消番号≪ロストナンバー≫?欠陥品≪ジャンク≫?あるいは、それ以外の何か≪アンノウン≫?
 どれもピタリと当てはまる定義にない為、明確な結論が出せずにいた。
 「痛っ!」
 背後から二度目の衝突音がした時、アズサの頬に、焼けるような痛みが走った。遅れて、服や髪が焼ける臭いが、鼻腔を刺激した。
 僅かに遅れてその音がした方へ振り返ると、アンプは元より存在した無数の遺品に紛れたのか、その部品すら判別が付かない。
 足元を見れば、件のガラス板は微細に砕け、誰の姿も映してはいなかった。金髪の少女≪魔女≫の姿も幻の如く消えていた。二つの存在は、現れた時と同じ く、消える時も魔法の様だった。
 そうしてツインテールの少女は、自分に掛けられた戒め≪魔法≫が解けた事を悟る。それが誰の手によるものかも。
 楔を断ち切られた少女は、一歩前へ踏み出す。二歩、三歩と重ねると、ゆっくりとした歩調は、やがて小走に変わり、そして全力疾走となった。もう迷うこと なく、真っ直ぐに先輩≪ユイ≫の元へ駆け寄った。
 「しっかりして下さい、先輩っ!!目を開けて!!」
 涙を流しながらユイ≪先輩≫の手を握ると、その冷たさに思わず手を解きそうになる。あんなに健康的だった顔色からは、すっかり血の気が失せ、青白くなっ ていた。
 懸命に声を駆けるが、意識を取り戻す事はなかった。
 パニックを起こしたツインテールの少女がユイの体を揺すろうとした時、その肩をメタリックグリーンのグラブが掴んだ。
 「それ以上動かさない方が良いわ……」
 ロストナンバーは、掴んだ肩をそのまま後ろに押しやる。そして、少女を押しつぶしていた巨大な鉄骨を睨んだ。
 「まずは、このおっきいのを何とかしなきゃね」
 ビルの建材にでも使われていそうな鉄骨には、小さな手で掴めそうな突起など無かった。出来る事と言えば、平面となっている部分に掌を当てるだけだ。
 「うっ――ごけぇぇぇ!!」
 気合の入った一言と共に腰を落とした少女は、果敢にも巨大な構造物を持ち上げようとした。  だが、ボーカロイドの腕力がどれだけあったとしても、正しい角度で力点に作用させなければ、ベクトルは伸びる事は無い。
 それどころか、下手に力を掛ければ、絶妙なバランスで八の字を保っていた鉄骨やガラクタが雪崩れを起こしかねない。一度崩れてしまえば、下敷きとなって いる少女の安否は知れたものではなかった。
 しかし、誰の目にも困難な現実を前に、怯むどころか更に力を掛け続けた。次第に、金属の軋む不吉な音が大きくなっていった。
 唐突に、ガキンという、ひと際大きな音が生じた。積み上がった山のバランスが崩れ、一気に崩壊した。
 「飛んでけぇーっ!!」
 突然、ロストナンバーの両手が、周囲の空間を巻き込んで蜃気楼のように歪む。すると、手の触れていた巨大な鉄骨は、二つの言葉通り、弾かれたように飛ん でいった。
 何tもありそうな物体が弾丸の如く、遠く離れた瓦礫の山に突き刺さった。重なり合っていたガラクタも、引き連れられるように四方へ散乱していた。
 唯一、横たわる少女が残されていた。レスキュー隊員も仰天の豪快な救助に、ツインテールの少女は感嘆の息を吐く間も無い。だが、不思議と怖く無かった。 目の前でピンクの人形と忙しなくやりとりしている少女は、自分が思い込んでいた『ボーカロイド』ではなかった。
 一人の人間を必死に助けようとしている『ヒト』に他ならなかった。
 「きゅ、救急車を……!!」
 絶望的な気持ちに幾ばくかの光明が射すと、ツインテールの少女は、自分のやるべき事を思い出していた。
 震える手でポケットから携帯電話を取り出し、滅多に掛ける事のない三桁の番号が正しいか、頭の中で反芻しながらプッシュした。
 ――通話ボタンを押す。
 しかし、ワンコールもせずに無情な音≪通話不能音声≫が返って来た。ツインテールの少女は、操作ミスかと思って2度繰り返した時、ディスプイの端にひっ そりと表示された『圏外』という文字にようやく気付いた。
 「圏外?嘘……何で?!」
 「レェ~ルガン≪電磁投射砲≫の影響でしかねぇ~?……仮に呼べても此処からだと、時間が掛かり過ぎなのよぉ」
 何か気の抜ける声が、ピンクの人形から投げ掛けられた。ロストナンバーは、受け取ったデータを見た時、初めてその言葉の意味を知った。
 現在地と受け入れ可能な救急病院までの距離、そして搬送までの予想時間を見ていた。その絶望的な数値が意味するところまでは理解出来た。だが、納得など 到底出来なかった。
 (空路を使った最短でこれ?冗談じゃない……!!)
 少女の体力に賭けてこのプランを選択するべきか――判断に迷いが生じていた時、マルチタスクで動いていた戦術理論≪タクティクスロジック≫から、ミッ ション攻略の別プランが提示された。
 今まで何かとやっかいな行動を押し付けて来たシステムの考えである、ロクでもない事は間違いないだろう。いっその事、無視してしまいたかった。
 少女のシステム≪自己≫を見る目には、嫌悪しか映していなかった。過去の出来事≪イベント≫は、すっかりトラウマになっていた。
 投げ掛けられたプランを確認すると、その優先度≪オーダー≫は『低』だった。それが意味するところは、『選択肢としては存在するが、非常に好ましくな い』という事に他ならない。
 このランクに強制力は存在しない。無視しても構わなかったが、少しだけ引っ掛かったロストナンバーは、内容を参照する事にした。
 何しろ、自己の利益のみを考慮した選択を優先度高≪トップオーダー≫に指定するようなシステムである。在り来たりなプランをリストに載せないばかりか、 強制力の無い『低』として扱われる計画が何なのか、別の意味でちょっとした興味が沸いていた。
 (えーと、何なに――)
 内容を一瞥した瞬間、自分の内側に笑う機能が無くて良かったと、心から思った。参照≪リード≫したのが外側なら、不謹慎にも噴出していたはずだ。
 その内容を一読した少女は、驚きを隠せなかった。余りにも大胆に描かれた構想に、自分≪タクティクスロジック≫の驚くべき一面を見たのだった。
 (我ながら、本っ当に『けしからん』計画だわ……でもでも、これなら本当にテロリスト扱いされても仕方ないかも……)
 自分の与り知らぬ誹謗中傷ならまだしも、自分が主体的に犯罪者になるのは気が引けた。だが、悪い気はしなかった。それどころか、そんな選択が出来る自分 が誇らしくすらあったのだった。
 「私≪システム≫も、やれば出来るじゃん」
 「ふぇ?」
 ピンク色の髪をした人形が見上げた先には、太陽の如く明るく微笑む少女≪ボーカロイド≫がいた。天真爛漫と言っても良い笑顔だったが、小さな人形は決し て鵜呑みにしなかった。何しろ、相手は自身を一個の砲弾に変える事すら厭わない輩である。
 幾ら高速演算が得意なボーカロイドとは言え、無茶にも程があった。ローレンツ力の制御に僅かでも失敗すれば、あの場にいた誰がバラバラになってもおかし くなかったのだ。決して、『まともな歌姫≪ボーカロイド≫』の選択ではなかった。
 「ねぇ、貴女の力が必要なの!お願い、協力して!!」
 自分の存在を消そうとした人間達が相手だと言うのに、その表情は必死だった。何故、そんな必死になるのか理解に苦しむ程だ。
 人間を危険に晒している時点で、『人間を保護する』という基本プログラムに異常がある事は疑いようも無い。
 まだ決定的な場面は無いが、恐らくこの黒ずくめの少女は、『人間を殺す事』も出来るだろう。  敵がいるだけでなく、敵を救う事も出来る存在≪ボーカロイド≫など、矛盾にも甚だしい。ボーカロイドは兵器であってはならない、敵を作ってはならないの だ。
 致命的な欠陥を抱えたボーカロイドに従う義務は、サポートAIに無い。ただ事故報告をするだけである。よって、この命令≪オーダー≫も従う義務は無い。
 「お願い……!」
 少女の切なる願いは繰り返される。だが、見上げた人形に返事は無かった。ただ、少女の瞳をじっと見詰めていた。
 澄み切った明緑色の瞳が――僅かに揺れていた。
 (……従う義務はありましぇん)
 非正規ボーカロイド≪イリーガル≫の願いを、心の中で切捨てた。それがサポートAIとしての正しい答えだった。
 ただ、少しだけ理屈の隙間を見ていた。本来ならプログラムによって判断を強制されるべき所だったが、論理矛盾が『考える余地』を作っていた。
 非正規ボーカロイド≪イリーガル≫に従う義務は無い。しかし、非正規という確証は無い。決定的に『人間を保護する』プログラムが壊れている確証も然り。 データリンクしていない相手の中では、どんな理論を元にその判断が下されたのか、確認のしようがないのだから。
 もう一度、ピンク色の髪を揺らした人形は考える。
 見上げた顔の主を、ボーカロイドとして信じる事は出来ない。この状況下で、まだ確定情報がなかったとしてもだ。
 けれど――
 けれど、ヒトとして真実≪TRUE≫ならば、その判断材料が出揃うまで『監視』する事は、サポートAIとして間違ってはいないはずだ。
 (……手ぇ貸すのではないでしよぉ~??人命救助に協力するだけなんでつからね!)
 あからさまにぶっきらぼうな顔を浮かべた二頭身の人形は、心底ぶっきらぼうに答えるのだった。
 「話ぃ聞くだけでしよぉ??」
 それからたったの5分後、空から物凄い音を立てながら飛ぶ影がやって来た。恐らくヘリコプターだ。近くをたまたま飛んでいただけなのだろうか。それと も、あのピンクの人形が言っていた『来れるはずのない救助』なのだろうか。
 「本当に……来て、くれたの……??」
 どちらでも構わない。ただ、私達を見つけてくれさえしたら助けられる、そう思っていた。
 でも、結論から言えば、ココ≪夢の果て≫に来たヘリは、そのどちらでもなかった。
 そもそも、何か形がおかしかった。ヘリコプターというのは分かるんだけど、テレビとかで見る救命用のものじゃない。普段イメージしてる魚っぽい形をして いなかった。
 色が真っ黒でやたら大きい。どちらかと言えば、箱っぽい形をしていた。それに、ヒレの所に付いてるのはミサイル。これって多分、駐屯軍のものだ。
 降下し始めたヘリを見ても、これが現実なのかどうか分からない。でも、今助けてくれるなら、お医者さんでも兵隊さんでも、何でも良かった。ただ、胸が詰 まる思いでその姿を見詰めるしか出来なかった。
 ――奇跡。
 本当にそう思った。でも、これが偶然の出来事じゃない事は分かっている。今しがたの言葉が鮮明に、思い出せる。
 絶望しかけたあの時、あの子≪ボーカロイドの少女≫が口にした言葉が、胸に息衝いている。
 ――今から4分17秒後に助けが来るわ。それで絶対助かる。だから、もう少しだけ頑張って。
 何故そんな事が分かるのか、その根拠すら疑いもしなかった。疑うのではなく、信じたかった。
 何も出来ない自分の代わりに何かしてくれた、きっとそう違いない。ある意味、自分にそう思い込ませる事で、何とか落ち着かせていたのかも知れない。
 一秒が永遠にも感じられた。ひたすら信じて待っていた。そして、助け≪ヘリ≫が来た。
 普通なら、こんな所≪夢の果て≫に来るはずがない。あの子以外に、こんな事が出来るはずがない。
 何とかなる、そう思った瞬間、心が折れそうになった。一生懸命止めていた涙腺から、再び涙≪感情≫が零れそうになった。
 ひたすら助けを求めて叫びたかった。エンジンの爆音に掻き消されようと構わない。ただ、ヘドロのように溜まった感情が、はけ口を求めていた。
 でも、私には泣く資格なんか無い。私は加害者だ。先輩は被害者だ。そしてあの人も。全部私がした事。だから、せめて安心出来る所まで見届けないと……こ んな所で負けちゃ、申し訳が立たない。
 自分に対する罰の意識だけが、折れそうになる心を支えた。必死に歯を食い縛って、溢れそうになる気持ちを押し込めた。
 上空で待機していたヘリが、凸凹だらけの埋立地の中では珍しい、まっ平らな地点に着陸した。何かの爆弾が爆発したように出来たその空間は、私が作った場 所だった。あの出来事があったからこそ、最も早く来て貰えるなんて、皮肉としか言い様が無い。
 後方のハッチが開くと同時に、黒い迷彩服に包まれた人達が雪崩れ出て来た。その手に収まった黒い銃≪アサルトライフル≫と、機械のように一糸乱れず動く 姿が、間違いなく本物≪軍人≫だと主張しているみたいだ。
 男の人たちはそのまま私達に近寄り、そして取り囲んでしまった。姿勢を低く、透明な盾を前面に出して作る壁。鼠一匹通さない気迫が伝わって来た。だが、 一介の女子高校生を、一体何から護ろうというのか。
 ――貴女は正体不明のテロリストに襲われた、そうよね?
 またも、あの黒ずくめの子の声が蘇って来た。有無を言わせぬ強さの中に、少しだけ寂しさのある表情が忘れられなかった。
 ヘリのエンジン音がライブみたいに爆音を鳴らす中、厳つい白人男性が話しかけた。何か言ってたけど、早口な英語と周りの音がうるさいせいでヒアリングも 出来ない。
 咄嗟に状況を説明しようとしたが、それどころではないらしい。大きな手で抱き上げられ、そのまま連れ去られていた。
 まるで、モノを扱うような粗雑さに驚いたけど、先輩の方はちゃんと丁寧に扱って貰えていた。抱きかかえられた姿を見た時、本当に本当に『助かる』って、 そう思えた。
 あの子が立っていた場所をもう一度だけ眺める。今はもう誰もいなかったけど、何となくまだそこにいるような気がして、小さな声で呟いた。
 「……大丈夫、だよね?」
 不安に打ち負かされないように、最後まで戦えるように、ありったけの勇気を込めた。風にさらわれ、誰にも届くことはなかった言葉。それでも、あの子の声 が返って来た気がして、私は少しだけ微笑む事が出来た。
 ヘリは、ものの十数秒で上空へ飛び去ってしまう。それは、まるで映画のワンシーン。呆気に取られる間もない恐ろしく迅速な行動だった。
 映画≪フィクション≫が、端から端まで綿密な脚本と演出で固められているように、この場にいた全ての人間が『役者』となって、一つのドラマを作り上げて いた。
 二人の少女が居た場所からそれ程離れていない地点で、その光景を神妙な面持ちで観察する二人組みがいた。
 腰まである長い黒髪を一つ≪ポニーテール≫に束ね、黒のライダージャケットの胸元を大胆に露出した少女と、その膝丈程しかない、ピンク色の髪が特徴的な 二頭身の人形。
 二人は似たような表情≪厳しい顔≫をしていたはずだが、そこに含まれる意味は対照的であった。
 「な~にが、『貴女は正体不明のテロリストに襲われた、そうよね?』でしかぁ~?あたくち、犯罪の片棒を担がされるなんて、思ってもみなかったですの よぉ~およよ……」
 「だから、あれは仕方がなかったって言ってるじゃない……ああでも言わなかったら、二人とも納得しなかったでしょ?一刻を争う事態だったのだから――」
 「馬鹿にしないでくだしぇ!一体アナタ様はあたくちの事を何だと思っているンでつ?!」
 詭弁と知りながら繰り返される説明を、強い口調が断ち切った。
 巻き込まれた事に立腹したのだろうか。時折、間欠泉の如く爆発する人形≪ヘルプAI≫に、ボーカロイドの少女≪ロストナンバー≫は戸惑うばかりだった。
 短い腕を器用に組み直しながら、同じく短い足でその辺に転がっていた空き缶を踏み付ける人形。一体、何の恨みがあっての事か、ベコベコにした空き缶に対 して、親の敵の如くプレスし続けた。
 そして、遥か上空にある少女の顔を横目でチラチラ見つつ、ぶつぶつと何か呟いていた。
 「あたくち初音ミクたま専用超優秀激カワヘルプAI!……なんでございますのよぉぉぉ、それがこんな事ににゃるなんて……ぅぅぅ」
 「ご、ごめんなさい……私が人命救助とか無理言ったばかりに――」
 「馬鹿にしないでくだしぇ!ンな事は分かってるんでし!アタクチ、自分が正しいと思ったからお手伝いしただけでつの!」
 決して大きくなかったが、その怒声には迫力があった。ロストナンバーは落雷に出くわしたように身を窄め、恐る恐る足元に視線を向ける。
 見れば嫌な命令を『押し付けられた』事に腹を立てている訳ではない――気がした。だが、ダイレクトリンクが機能しない状態では、互いの気持ち/思考の機 微など知りようもなかった。一体何に対して怒っているのか、唯でさえ推察の域を抜け出ない少女には、想像に余る難題だった。
 「軍事ネットワークへの不正侵入、関連機材に対するクラッキング、恫喝・脅迫、おまけに管理サーバークラッシュプログラムの作成、及び使用まで許してし まうたぁ~あたくち、ヘルプAI失格でし――」「いいえ、アナタは最高のパートナーよ」
 反射的≪ノータイム≫と言って良かった。ロストナンバーが何の疑いも無く、それこそ自信満々で断定すると、目を丸くした人形≪AI≫は、今度は俯いてモ ジモジし始めるのだった。
 少女には、リンクしていない相手の気持ちは分からない。でも、自分の判断に対して怒っているのではない、それだけは何となく伝わって来た。見えない、で も二人の間に確かに存在する細い線が教えてくれた。
 ロストナンバーは、生まれて初めて接した人≪二人の少女≫の消えた空を眺めた。そこは一時と変わらぬ灰色、ぶ厚い層を織り成す雲が支配していた。空の境 界からやや視線を下げると、やはり無機質の墓場が地平線まで伸びていた。この夢の果て≪廃棄場≫からみれば、あの激戦の傷跡すらほんの些細な変化に過ぎず ないのだろう。
 結果だけ見ると、自分を取り巻く問題は最後まで解決せず、一人の人間の誤解すら解けることがなかった。詰まるところ、それが事実だった。
 (でもさ、何らかの意志によって『私』は変えられて……そして私は『私』を変える事が出来た。この子の中の『私』は、変わったのだろうか?……あの子達 の中の『私』は?
 今は分かり合えないかも知れない。でもいつか、いつかきっと本当に理解し合えるよね?)
 彼方≪かなた≫から此方≪こなた≫へ思いを馳せた所で、少女はふと聞き忘れていた重要事項を思い出した。
 「そういえば、アナタの名前は何て言うの?」
 「製造番号ならありまつが、名前なんてありゃしましぇん。もし、アタクチの事をお呼びの際は『おい』でも『ねぇ』でも、お好きなように~」
 半ば投げやりに答えが返って来たが、ロストナンバーは気にも止めず、パッと表情を輝かせる。
 「そう?なら……そうね、『セラ』と呼ぶわ。Super Excellent and Lovely Automation Helpfile≪超優秀激カワ自律式ヘルプファイル≫で『Selah≪セラ≫』、どう!?」
 名前が無いなんて有り得ないと!言わんばかりの凛と口調だった。上気する頬に夜空の一等星並に輝く瞳、そしてツンと胸を張る辺りに、少女の過大な自信と 緊張と不安とが見て取れる。
 一方の二頭身人形は、またもクリクリとした瞳を丸くして驚いてみせただけだった。
 だが、その感覚の『ズレ』も慣れたものだった。すぐさま、元の調子で応酬するのだった。
 「ロスト――おおっと失礼しまちた。『初音ミク』たまには、ネーミングスキルはプログラムされていなかったみたいでしねぇ……」
 「ええぇ!!一生懸命考えたのに……ダメ、かなぁ?」
 予想もしなかった――というより、『していたけどやっぱりショックなんです!』という加減の表情。まるで捨てられた子犬。
 それでも、フォローの言葉はない。
 「……『初音ミク』たま。最初にお断りしていまつが、アタクチの事をお呼びの際は『おい』でも、『ねぇ』でも、『何でも』お好きなよぉ~にどうじょ」
 そっぽを向きながら繰り返された科白。遅れること数秒、萎れた花へ命の水が降り注いだように少女の笑顔が咲いた。
 何と捻くれたAI≪パートナー≫なのだろうか。フォローはなかったが否定もしていない――要はそういう事だった。
 「ありがとう、セラ――あ、それと私の事は今まで通り『ロストナンバー≪登録消去番号≫』と呼んで。歌えない私なんて『初音ミク』なんかじゃ、ない」
 あっさりとした調子で、残酷なまでの自己否定。無意識に、右手が喉に触れていた。肌に伝わる金属の冷たさによって、少女は初めて自分が何をしているか覚 る。
 ――何も、解決していない。
 だが、何としてもこの心の空洞を埋め、渇きを癒さなくてはならない。その為に何をしなければならないのか、生まれたての少女には知らない事が多過ぎた。
 (まずは、現実≪過去≫と向き合う事から始めよう)
 少女の旅立ちを祝福するように、一筋の光が厚く重なった雲の切れ間から差し込んでいた。
 「行こう」
 一言だけ告げると、少女は踵を返して歩き出す。遅れてピンク色の髪をした人形がよちよちとくっついて付いて行った。
 歌えないボーカロイド≪ロストナンバー≫の旅はここから始まる。自らの存在意義を求め、長い長い旅の、最初の一歩を歩み始めたのだった。

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